その他


堕落人間にとって、「知ること」は命の光であり、また蘇生のための力でもある。そして、無知は死の影であり、また破滅の要素ともなるのである。無知からはいかなる情緒をも生じ得ない。また、無知と無情緒からはいかなる意志も生ずることはできないのである。(総序 p.31)

 

人間の努力をもってしては、いかんともなし得ない社会悪が一つある。それは、淫乱の弊害である。(総序 p.27)

   

文明の発達と、安逸な生活環境に従い、増大しつつある淫乱による犯罪だけは、だれによっても、またいかなるものによっても、防ぐことができないというのが現在の実情である。(堕落論 p.105)

 

堕落した人間社会における闘争と革命とは、この絶対的な目的を追求し、絶対的な善の世界を成就するまで継続せざるを得ないのである。(堕落論 p.119)

 

聖書の文字は真理を表現する一つの方法であって、真理それ自体ではないということを、我々は知っていなければならない。(終末論 p.169)

 

地上天国を建設するために来られたイエスであるから、彼には、ただ従ってくるだけの千人よりも、先に立って千人を指導できる一人の指導者の方がより必要だったのである。(メシヤ論 p.202)

   

その時機の差はあっても、堕落人間はだれでもみな、救いを受けるように予定されているのである。(予定論 p.246)

  

神が人間に恩賜を賜ろうとするときには、その恩賜と前後して、サタンの訴えを防ぐための試練が必ず行われるのである。(モーセ路程 p.402)  

 

復帰摂理路程においては、真なるものが現れる前に、必ず偽なるものが先に、真なるものと同じ姿をもって現れるようになるのである。(復帰摂理から見た歴史発展 p.487)