責任分担について


堕落人間がそれ自身の責任分担として、み言を信じ、実践して初めてそのみ旨が成し遂げられるようになっている。(復活論 p.217)

 

自由意志と、それに基づく行動を通じて、神に喜びを返すべき実体対象として創造されたので、人間は神の目的を知って自ら努力し、その意志のとおり生活しなければ、神の喜びの対象となることはできないのである。(終末論 p.134)

 

メシヤを遣わすことは、神の責任分担であるが、来られるメシヤを信ずるか否かは、人間の責任分担に属する。(メシヤ論 p.190)

 

悪の結果は、みな人間自身がサタンの対象になって、その責任分担を果たさなかったことによって起こるのである。(予定論 p.241)